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江戸時代の納税

武士7%のための納税

江戸時代の村は数十戸からなり、耕地を持ち、年貢を納める本百姓と、耕地を待たない水呑百姓がいた。
幕府や藩は、村の有力者を名主・組頭・百姓代表などの村役人にして、年貢の納入に責任を持たせた。
農民は、田畑の売買を禁じられ、新田開発すると厳しく検地された。
日常生活についても、衣類や食事などの規制を受けた。幕府や藩の財政を支える年貢は、米納が原則で、四公六民(収穫高の10分の4を年貢にとられること)とか五公五民などの高い率で取りたれられた。
農民が生活のゆとりを残せないほど厳しく年貢を取り立てた。
都市には、家を持ち、冥加金・運上金などの営業税を納める町人身分の商人などがいた。
町人の負担は農民より軽かったので、富をたくわえる者もでた。
江戸時代末総人口3,200万人のうち、農民84%、武士7%、町人6%、公家・僧侶など3%である。
現代は、誰が武士で、農民なのだろうか。

(H15.7.18 T.S)