会長の部屋

CHAIRMAN'S ROOM

八重山よもやま話 1999年4月号原稿 新日本法規 法苑(54歳時原稿)

1、スキーと流氷
2、流氷と珊瑚礁
3、私たちを珊瑚礁に近づけたのは誰のお陰?
4、八重山ってどの辺?
5、どうしてここが日本?
6、沖縄問題と税制(赤字法人課税)
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(このエッセイをHP上で復活した理由は、本文の一番最後を参照)


八重山よもやま話 1999年4月号原稿 新日本法規 法苑 渡辺俊之

1、スキーと流氷

学生時代から途切れなく30年以上続いているスポーツにスキーがあります。
3年前、北海道、女満別近くでスキーをした帰りに、網走でオホーツク海の流氷に閉じ込められそうになったことがありました。

流氷の素晴らしさ、不思議さに感嘆しつつも、氷の世界から開放された翌日、東京に戻ってニュースを見ていたら、砕氷船が流氷の中に半日以上閉じ込められたというニュースに接しました。

何のことはない、我々の乗船した後方の便の方達が流氷の中に閉じ込められた訳です。我々の船までが戻れたわけです。
仲間たちと共に運の良さを誇らしげに語り合ったものでした。

もっともその前の年に、北海道洞爺湖の北、ルスツスキー場に向かっていたバスの一台前のバスがスリップの後脱輪し、車道をふさいでしまいました。我々のバスはやむなく引き返し、別ルートでルスツへ向かったため、2時間以上遅れてスキー場到着となった運の悪さもあったんです。

前のバスより前に我々のバスが先行していたら、2時間のロスタイムはなかったのに…、
なんて当時は嘆いたものでした。
しかしこれも今になって考えると、もし我々が、先行していたら、我々が脱輪していたかも知れなかったんです。 

やっぱり私は運が良い、と考えることにしました。

2、流氷と珊瑚礁

 「運が良い」ということで感じるのですが、流氷と珊瑚礁を同じ国で、同時に見られる国って、世界中にあるのでしょうか? 
アメリカ合衆国あたりは見られるんでしょうが、アラスカはカナダという国を挟んでいるし、ハワイ島に珊瑚礁があったとしても、米国西海岸とハワイ島は離れすぎていてピンときません。

そこへいくと、我が日本国。
網走沖のオホーツクの流氷。そして沖縄本島はいうにおよばず、石垣島を中心とした先島諸島にある実にすばらしい珊瑚礁と七色に変幻するコバルトブルーの水より透明な海。
この二つが同時に見られるなんて、日本人はなんて「運が良い」のでしょう。

この「巡り合わせの運の良さ」はどこからくるのだと、そして誰のお陰だと思います?

戦国の世のスーパースター、豊臣秀吉は朝鮮出兵に際して琉球の加担を強要しましたし、徳川家康は中国との国交回復の斡旋役を琉球に期待したんですが、これに従わなかった琉球の無礼を糾すという名目で1609年、3千の薩摩軍が琉球に侵攻したんです。
いわゆる「琉球支配」の始まりです。

しかしもっと遡れば、島津氏の薩摩藩が、中国貿易のメリットから琉球に注目し、中国と薩摩の両睨みをしていた琉球を徐々に支配下においていった結果なんだと思います。

しかし薩摩藩のお陰だけでは、流氷と珊瑚礁が同時に見られる日本は存在しませんでした。

1429年、尚巴志が沖縄本島の南山を滅ぼして沖縄本島の全島を統一していてくれたからこそ1609年の薩摩侵攻によって、珊瑚礁の世界がヤマトンチュウ(沖縄に対する大和人国の呼び名)に近づいたんです。

3、私たちを珊瑚礁に近づけたのは誰のお陰?

しかしこれだけでは、水よりも透明な七色に変幻するコバルトブルーの海と、流氷の下に棲む天使のようなクリオネが同時に見られる日本国は存在しなかったんです。

では誰のお陰だと思います?
それは先島(石垣島を中心とした八重山諸島)を支配していたオケヤ・アカハチが琉球に対して反乱を起こしてくれた結果、この反乱を琉球王府が平定してくれたからなんです。
こんな反乱をしたのも琉球(元を糾せばヤマトンチュウ)が人頭税(身長が140何㎝に達すると一律重税を課した)のような税制を強いたのも遠因だったかも知れません。

(今の日本国も地方税に外形標準課税を導入しようと企んでいるようですが、中小零細企業あるいは赤字企業の反乱に合わないように気をつけましょう)

まあとにかくオケヤ・アカハチが八重山諸島を支配していてくれたから、今の西表島や与那国島、波照島が台湾領や中国領でなくてすんだのです。

ごく近代に駒を進めると、明治政府が1879年、琉球藩を廃して沖縄県を置いたいわゆる琉球処分によってさらに珊瑚礁の世界が私に近づいたんです。

もっと現代に話を戻せば、ノーベル平和賞に輝いた佐藤栄作元首相時代の1972年に沖縄返還を成し遂げてくれたからこそ、ビザなしで珊瑚礁が堪能できるようになったんでした。

つまり、オヤケ・アカハチ(波照間島生まれの人)、尚巴志(琉球生まれの人?)、島津藩(鹿児島県人)、秀吉(関西人)、家康(静岡県人)、明治政府、アメリカ、佐藤栄作等々の歴史のからくりを思いながらに感謝しながら沖縄の海に潜っています。

4、八重山ってどの辺?

ところで八重山ってどの辺なのか知ってますか? 沖縄本島から更に南にある、石垣島を中心とした島々の集まりを「八重山諸島」といいます。宮古諸島をも含めて「先島諸島」ともいいますし、沖縄本島の人は「離島」とも言ってます。

日本地図を見てもらえばもっとピンとくるでしょうが、このあたりは日本というより、台湾のすぐ東隣りといったほうがいいでしょう。
10数年程前、初めて西表島を訪れたときの海のきれいさに感動し、その後毎年のように八重山を中心とした沖縄方面を訪れているうちに、「ここまで日本がある!」という感激から「どうしてここが日本なの?」という考えも芽生えてきました。

誰のお陰で珊瑚礁と流氷が同時に見れるのか?なんて真剣に考えている人はあまりいないかも知れません。でも私にとっては大変な問題なんです。

こんな見方をするのは、スキーとダイビングが好きな私だからかもしれません。
薩摩(鹿児島)をはじめとした歴史上の人たちはそんな「運の良さめぐりあわせ」を勝取った意識なんておそらく無いでしょう。
そして沖縄の人たちは、基地問題等の被害者としての意識(全島民のどの程度かは別として)はあっても、日本の海好きの人たちがこの沖縄の海に接しられる喜びにどんなに感謝しているか知らないのではないでしょうか? もっとも最近の若者は当たり前と感じてるかも知れないですね。

とにかく「ここまで日本がある!」という感覚は、スキー帰りに北海道の網走で流氷群に閉じ込められそうになった後、沖縄の座間味諸島の珊瑚畑のなかをドラフトダイビングしながら流されていると、果して、世界広しといえども、一つの国で流氷と珊瑚礁が同時に見られる国ってあるのかな?なんて考え込むうちにそんな思いになったんです。

なにしろ日本は南北に長い。同一民族で同一人種が日本の特色なんて言いますが、少なくともアイヌ文化や琉球文化は言葉や人種も違う。

「どうしてここが日本なの」という感覚は、先島諸島に何度も行っているうちに、感じてきました。そしてこんなにすばらしい海にこうしていられるのは、歴史的には誰のおかげ?
と考え始めました。

5、どうしてここが日本?

4年前日本の最西端、与那国島に行きました。台湾まで72キロで晴れた日にには、台湾で一番高い新高山も見えるということです。ダイビングで有名なあの与那国島の「遺跡スポット」なんて、この目で見たら人間が造ったものに間違いありません。!!

戦前の与那国は台湾経済圏のなかにあったようなものだったそうです。日本銀行券より台湾銀行券のほうが強かったとも聞いてます。
昭和21年頃には、台湾帰属論まで起こったというんですから、なおさらどうしてここが日本なの? と思ったりします。

そして西表島の南、日本最南端の島、波照間島にも行ってみました。
先島諸島を統一してくれたオヤケ・アカハチの墓も見舞いました。(というとわざとらしいが、私が泊った日本語の通じずらい民宿の前が墓だった。)

島内に数件ある何でも屋(ヤマトンチュウ風に言えばコンビニ)の入り口に張ってあったワープロで打たれたスケジュール表(村人を駆り出して毎日のように一年中続く豊作・豊漁等の神事の行事)が妙に現代と神世の時代を融合させているようで、ジイッと見入っていた私がおかしかったです。そして南十字星が見える島は日本ではここだけですよ。

小浜島や与那国島に今でも沢山ある巨大な亀甲墓なんて、東京人には信じられない。
あれはどう見ても、中国の影響そのものです。女性の胎内から出でた生命は、また胎内に戻るという言い伝えは、女性の下腹部から覗いたあの亀甲墓そのものの姿態でした。

6、沖縄問題と税制(赤字法人課税)

太平洋戦争の終盤、死闘を演じる国内唯一の地上戦の舞台となって県民の4人に1人が命を落としたという事実は、テレビや新聞等の報道でしか知らない人が多くなってしまった中で、私も初めて沖縄の「ひめゆりの塔」に行ったときに生き残った語りべたちから生の話を聞かされ、戦争の凄惨さを感じ取りました。

日本人は全員が、今のうちに「ひめゆりの塔」に行くべきです。生き残り証人がいなくならないうちに。行って、聞いて、見て、みないと、何故私がそう感じたかの説明はできません。

そうした時代背景のなかでの沖縄県民の本土の人への感情は複雑なものがあるのでしょうが、そうした歴史的、政治的問題は抜きにして、こんなにすばらしい沖縄の海に出会えるのは誰に感謝すればいいのと考え始めたわけです。

人頭税のような悪税で悩まされていた与那国島をはじめとする先島諸島に滞在しているとついつい公認会計士・税理士という職業柄か、今の日本の税制やら、自治体監査にも思いを致すことになります。

一家総収入の80%が人頭税として収奪されたといわれる搾取税制は島民の堕胎、えい児圧殺、自殺、脱島など悲惨な手段がはびこり、妊婦を飛び越えさせた久部良割りは、向こう岸に飛び越えられなければ、断崖の海の下。

つまり税逃れのための人減らしでした。
なにが公平な税制なのか難しい問題ですが、地方税(事業税)における外形標準課税制度は地方分権と地方財政の問題から赤字法人課税が注目を浴びています。

自民党税制調査会の審議に先立って、大蔵省側から「赤字法人等に対し法人としての一定の税負担を求めることとする場合には、各事業年度の最低限の法人課税として、支払給与総額に一定の税率(1%未満)を乗じて得た金額の納付を求める」という案が一年以上前出てきました。

外形標準を何に求めるかは難しい問題ですが、資本金や従業員数や事業用地面積、売上高いずれをとっても納得行きません。

自治省の本音は、昭和25年のシャウプ税制の時に一度も実施されること無く廃止された道府県民税としての「付加価値税」を導入したいようです。

しかしこの加算型付加価値税を年頭に置いた外形標準課税の導入は、現在消費税という控除型付加価値税がれっきとして存在しているんです。
現行の消費税は消費者が負担しているのであって、加算型付加価値税は企業が負担するんだとごまかしたところで、2重課税に変わりないんです。

話がつい本業のほうに飛んでしまいましたが、与那国島で、妊婦を飛び越えさせた久部良割りの崖っ淵に立って、下を覗いていると、人頭税的外形基準であってはならないとつくづく考えます。
まあ難しいことはよしにして、とにかく流氷と珊瑚礁が一度に見られる国に生まれて良かった!!! ということで オ ワ リ。 また沖縄に行きたい。そして珊瑚畑を流されながら、課税の公平って何?って考えたい(公認会計士)。


なぜ このエッセイを再掲したのか?

この原稿を書いた後、私は沖縄唄三線の世界にはまり込んで行きました。そして何度も沖縄を訪れました。 今では仕事の関与先も離島をも含めて沖縄に数社あります。
このエッセイは、昔のHPには長いこと掲載していたのですが、沖縄を知れば知るほど、沖縄の方からすると不快な思いがするだろうなー と思い始め、新しくしたHPでは掲載しておりませんでした。 

なぜなら、あまりにも日本の本土側からみた「やまとんちゅう」(大和の人)の一方的な感想と思われるからでした。 
でも沖縄の文化や、薩摩の文化、そして明治維新の頃の日本を知るにつれ、沖縄の存在を「うちなんちゅー」(沖縄の人)側からいずれ考えて見たいと思うようになり、再掲することとしました。  
でも、唄三線が趣味の私ですが、沖縄文化のDNAがない私が、沖縄の人たちの前で沖縄音楽を歌うことはいまは、やめています。

(平成20年10月 記)