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竹中平蔵氏 講演(その1)

東日本大震災と日本経済の行方平成23年5月24日 帝国ホテル

竹中平蔵氏の講演(衛藤征四郎衆議院副議長主催早朝勉強会)
(テーマは話の内容から付けさせていただきました。)

皆さんおはようございます。ご紹介をいただきいただきました竹中平蔵でございます。私が本当にお世話になり尊敬申し上げます衛藤征士郎先生の立派なセミナーで、ご拝見するとそうそうたる皆さんの前でこのようにお話しできることを大変光栄に思っております。

おそらく今、 皆さん大変悲痛な思い、とそして、若干の期待とそして目の前のことに対する大きな懸念そういう思いで経済を見ていらっしゃると思います。3,11。3月11日皆様どこにいらっしゃましたでしょうか、それ以降私たちの目の前の社会の景色が変わったという印象をお持ちだと思います。それをふまえて今、衛藤先生から座標軸を示せ、という大変大きなお仕事を頂いたわけでありますけど、考えて見ましたら、私が右も左も分からなく学者から大臣を命じられました時に政界の中にどのように行動をしていくかという座標軸を教えてくださいましたのが衛藤先生だったと言うに思いますので、この場所を借りまして是非、私なりの問題の提起をさせて頂きたいと思います。
かなり、正直に色んな事をお話し申し上げたいし、私は今何を申し上げてても失言になりませんので、重要な立場で、たまたま、3日前に小泉純一郎(元総理)と、ご一緒させて頂き、話させて頂ましたけれども、小泉さんは相変わらず、大変元気で、今の状況はどうかというかいう事に関して次のように簡単に言っていました。
自分は総理大臣の時、痛みに堪えて頑張った。「感動した、感動した、」と言ったけれども、今みんな思っているのは「菅、どうした?」(爆笑)まあ、どのくらい面白いかどうか思いまして、本当にどうなっているだと思いだと思います。

直近の経済状況

今日は経済についてたくさんの事を話ししたいと思うんですけども、直近の数字だけ是非レビューしておきますと、今年1月から3月期 GDPがつい先週でました。いわゆる第一四半期のGDPなんと年率換算で、マイナス3.7%、マイナス3.7%でした。皆さんはどのような思いでご覧になったのでしょうか。
若干の留保条件があります。これ(聞き取り不能)とですね、今のちゃんと大事な事を説明してくれないのですけれども、これ相当推計難しい訳ですね。要するに東北地方の失業率だって、ちゃんとまだ取れてないわけで、その凍結分がどうか。
それに先立って内閣府が大変苦労したんだと思いますけれども、今回の推計に当たって、こういう風な割り切りをおきましたというということを、発表のかなり前、2週間くらい前に公表しています。
たとえば、東北の被災を受けた、被災地域に関しては、公共事業は0とみなす、住宅投資は0とみなす。かなり、大胆な前提をおいてますので、これは相当修正を今後しなければいけない。そういう前提の上での数字だと言う事をまず、理解しなければいけない。

ただ、それにしても、マイナス3.7というのは、なかなかすごいんです。なぜならば、震災の少し後に、各機関がいろんな予測を発表しています。それを4月の最初に日経新聞 が11の予測機関、集計を行っているんですけれども、11の予測機関の平均値です。1月から3月期まで、地震の影響をある程度織り込んだ上での推計値、平均予想はマイナス0.6%だったんです。わずかなマイナスになる、プラスになると予想したところはありました。マイナス0.6%というのが平均値だったんです。
ところが、2週間くらい前に再推計したら、マイナス1.9%。やっぱり影響が大きい。ところが実際の内閣府の数字マイナス3.7%になった。これ、こういう統計の問題ありますけれど 相当何かが起こったという事です。しかし、3月11日ですから、1~3月期に関して言うならば、この統計の中で地震の影響を受けたのは、最後の3週間だけです。にも関わらず、これだけの大きな影響を受けている。これは、単に自粛とか、そういう物ではなくて、やはり、特に消費者のマインドセットがですね、大幅に落ち込んだ。今もその傾向が続いているの可能性が大。マイナス3.7%と言いましたけれども、その内の9割くらいが、消費の個人消費の低下、説明出来ます。あとはなんと輸出の低迷で説明出来ます。
日本は外需依存だと言ってますけれども、1~3月期からみますと輸出から輸入をひいたいわゆる純粋な外需はマイナスです。これも想像つくと思いますけれども、自動車産業の輸出が伸びなかった。その要因はいわゆるサプライチェーンの崩壊によって、部品調達ができなくて、日本の対象的な輸出産業、自動車産業が何週間か工場休業するとか。

たとえば、後で少し説明します。そういう事が起こっている。それを受けた対策をしなければいけないという事ですが、したがってすぐにでも、浮かぶものはやっぱり、補正予算をちゃんとやらなきゃいけないという事です。震災、被災地の為に第二次補正予算早くやらねばいけないだけれども、マクロ経済根源の観点からも第2次補正を急がなければ。今、ある時、皆さんご存じのように、このタイミングとしては、菅総理は早々と国会を閉じて、国会に持って行くといじめられるので、国会を早く閉じて、それで8月に持っていこうと、ちょっと訳のわからない状況に直面して、それは、そんなことがあってはならないという事で今激しい、国会の衝突、国会の中での議論が行われている。イントロダクションとして、今そのマイナス3.7%という数字を申し上げた上で、いろんな議論を入っていきたいと思います。

震災後の海外の日本の見方と今後の日本経済

まず、皆さんの身の回りの景色が変わったと思います。私も経済学者として、活動していますと景色が1つ大きく変わりました。それは海外から日本の事を講演してほしいと日本のセミナーを開くので講演してほしいという依頼がものすごく増えたという事です。 ついこの間までジャパンパッシングと言われて、さらには、ジャパンナッシングだと言う風に言われている。しかし本当にジャパンフォーカシングです。

先々週もパリに呼ばれて講演してきましたけれども、来週 北京に呼ばれて講演することになっていて、その後、ジャカルタとシンガポールで講演する事になっています。まあことほど左様ににですね、今、世界は日本をものすごく注目しています。注目している理由はいくつもありますけれども、たとえば、さっき言ったように改めて、世界のグローバルサプライチェーンが影響を受けている。つまり東北のですね日本人もそんなに、そんなに詳しく知らないような会社が自動車の部品の世界の3割5割7割のシェアをしめている。
そういう中で、日本経済にしっかりしてもらわないと困る、という思いがあるし、たとえばですけれども、皆さんは震災の後、円はどうなるのと思われますでしょうか。
この円がどうなるかという問題は日本の将来とすごく関わってくるんですけれども、関東大震災1923年の 関東大震災の後、円は20%暴落します。しかし、1995年 阪神淡路大震災の後は、円は高くなって、最高値 79円、1ドル79円というのをつけるのは、実は阪神淡路大震災の後なんです。
したがって、為替レートも実はいろんな要因でこれから動きうるという事になりますけれども、ひょっとしたら、円が暴落するかもしれないという危険もある。そういう事を含めて、その世界の資産市場の中で日本が1つのショックを与えないかという事を世界は気にしている。改めて、実は私たちはこの中で日本のあり方と堂々と示していかなければいけないのだと思います。

ピンチはチャンス ―復興の過程を世界に示そう―

一言でいうと、ありふれた言葉かもしれませんが、ピンチはチャンスです。
たとえば、東北の農業を再生しなければならない。しかし、東北の農業を再生するに当たって、この東北の農業を epp対応型の強い農業にできれば、日本は強くなります。そして、東北の町を復興させる時に、この町を21世紀型の世界のモデルになるようなエコタウン。防災タウンに仕上げれば、これは21世紀のいろんな意味での世界を日本がリードする役割を果たす事ができます。

そういう志を日本が示せるかどうか、私たちは今、歴史からたくさんの事を学ばなければならないと思いますが、先ほどの1923年の関東大震災の後、ご承知の後藤新平が復興の総裁になって、そして、いろんな政策をやった。彼の政策と今の構想会議の議論を対比してみたいと思いますけれども、後藤新平が私やっぱり、本当にすごいなと思うのは、復興の後に「復興史」という大変有名な本を書いているんですけれども、私達は一体どういう目にあったのか、そして、そして何がうまくいったのか、何が失敗したのか、そういう事を全部整理して、それを世界に発信したんです。世界に発信した。その英語の全文の中には次のように書かれていた。私達は世界の方々から助けて頂いて、復興した。うまくいった事をうまくいかなかった事もいろいろあるけれども、それを全部世界の方々に知って頂きたい。そういう私達の体験を世界の方々に発信することこそ、世界から助けれた日本の皆様に対する恩返しである。
まさに、当時の日本人の志の高さがその当時の状況の中で私は表れていると思います。

私達は今、そういう事をしなければいけない。もう、起きてしまって、つらい目にあっいるという事は、動かしようがありません。しかし、そこからどういうように立ち直ったのか、その過程でうまくいった事、うまくいかなかった事、ちゃんと自ら反省して、そしてそれを世界に伝えていこうではありませんか。
そして、こんなに日本は立派になったということを10年後に5年後10年後世界に示そうではありませんか。
私は、ちょうど中学2年生の時に東京オリンピックがあったわけですけれども、まだ終戦から10数年です。10数年の時に東京オリンピックを開いて、こんなに立派になった日本を見てくれ、こんなに立派になった東京を見てくれというのがあの時の思い出です。
そういう事を今、私達は志で示せるかどうかいう事が問われていると思うんです。
それに関して申し上げますと、今日本は控え一色になってますけれども、たとえば、長年の自民党政権時代、蓄積してきました。たとえば、防災の技術とかノウハウというのは、実は今回は決して順風ではなかった、反省すべき事はたくさんあるけれども、それなりに生かされていたという点を私達自信が認識するのは、すごく重要であるかと思います。