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昨日夕方、ある会合の7周年記念パーティで小泉氏の感動的な話を聞く機会がありました。やはり、偉大な政治家だと再認識。以下講演録前半です。
平成22年1月18日 新高輪プリンスホテル
私は政界引退して隠居の身ですよ。○○さんが、大学同級生のよしみで、どうしても来いというので来たんですよ。今日という日が通常国会の初日でね、こんな状況となるとは、夢にも思っていなかった。今日は私の話から政局の話や政治の話を期待しているかも知れません。 それよりもどの政党が政権をとても誰が総理大臣になっても大事なことがあるということをお話するように務めている。
今年は寅年ですね。 ですから新年の正月いろいろな人の話を聞きますね。寅年にちなんだ熟語とか諺をよく聞きます。
虎といえばですね、「虎穴に入らずんば虎子を得ず。」リスクをとらなければ何も得られない。
常に挑戦している方も多いでしょう。あるいは「虎視眈々」何かを狙っているかたも折られるでしょう。でも私は、虎という字を聞くと幕末二人の優れた人材を思いだす。
一人は吉田寅次郎、もう一人は、小林寅三郎。幕末の佐久間象山門下の優れた英傑です。吉田寅次郎は吉田松陰ですからご存知の方多いと思いますね。今から150年前幕府転覆を企てたかどで29歳で処刑されます。1829年。この吉田松陰寅次郎は多くの人に影響を与えました。今でも松蔭の本を読んで影響を受けている人がたくさんいます。私もその一人。
松下村塾を作った期間はわずかの期間です。にも関わらず、あの松下村塾に学んだ、高杉晋作、伊藤博文とか、明治維新に大活躍をした人をずいぶん出していますね。いわば日本の歴史上の中でも代表的な教育者です。
吉田松陰はどんな人でもいいところがある。そのいいところを伸ばすのが教育者として大事なんだということを実際の教育活動で示した人でした。その吉田松陰は数々の辞世の句を残している。そのひとつ処刑されることがわかって、故郷の両親に送った辞世の句なんです。
「親思う、心に勝る親心、今日のおとづれ、なんと聞くらむ」
松蔭は両親から非常にかわいがられた。殿様である毛利候からもかわいがられた。自分を気使ってくれる、体をいたわって大事にせよと京に送ってくれた両親、この処刑の話聞いたら何と悲しむだろう。「親思う、心に勝る親心、今日のおとづれ、なんと聞くらむ」
これよりももっと有名なのが、まさにこの幕府の状況はどうにもならぬ。自分の志は死んでも、後々多くの人が考えてくれと思いのぞんだ、「身はたとい武蔵野の野辺に朽ちるとも、とどめおかまし大和魂」身はたとえこの野原にさらされて腐り果てるのも自分の国を憂える気持はずっと残っていくだろう。
留魂録という遺書を残しています。人間というのは死んでも人に影響を与えるんですね。
もう一人、小林寅三郎、これは長岡藩。米百俵の精神で知られた人であります。私の総理としての最初の所信表明演説で米百俵の精神を紹介しました。あの幕末、長岡藩は賊軍の汚名を浴びて薩長を中心とした官軍と戦って敗れたんです。悲惨な思いをして食うに困った。見かねた隣の藩が少しは飢えをしのいでくれといって米百俵を送ってきた。多くの藩士は、ああーようやくこれで飢えは凌げる、しかしこれをどのくらい分けてくれるんだといっている時に、当時の長岡藩の、今なら首相ですね、藩の。この米を藩士たちに分けたら、数日で食いつぶしてしまう、それよりも何でこんな惨めな状況になってしまったんだ。先を見通す力が無かった、だからこんなひどい目にあっちやった、ちゃんと生涯、洞察力を持った人間、いい人材を育てるためには学問が大事。
当時は特殊な人しか小学校にいけないんですから、そこで学校建設資金にこの百俵を食いつぶさない。少しは痛みに耐えて将来の人材を作るためにこの百俵を売って学校を建てよう、これが明治時代になって、全国で誰でも学校に通うような施策の契機となった、有名な米百俵の話です。
この吉田寅次郎、小林寅三郎、幕末の二人のくしくも「寅」の字を冠した今でも知る人ぞ知る、常にこの人達の生涯はまだまだ価値のある優れた人材だと、今でも私は思っています。
今、百年に一度の危機だといってます。とーんでもない!危機なんてしょっちゅうきます。今デフレの時代ですけどね、私が始めて当選したのが昭和47年です。当時はインフレ退治が政治家の仕事でした。昭和48年に中東戦争が勃発した。翌年狂乱物価だ、一年に20%の物価上昇。政治でどうしたら物価を下げることができるのか? 物価や土地は上がるものが当たり前のものが当たり前だった。私は現役の時代にデフレが来るなんて夢にも思っていませんでした。それが今デフレで困ってるんです、百年に一度じゃないですよ、30年に一度でも、デフレなんか来ないだろうと思って、インフレの時代から今デフレを味わっている。こんな時代だからインフレ来ないっていいますが、かならずインフレが来る。
そのとき、あー、あのデフレよかったと、皆(逆に)思うかもしれない。危機はいつでも来るんです。今一国で何でもやっていける時代じゃない、グローバル時代これはどの国も避けて通れない。どの国もどの国もこのグローバル社会、これを無視して個人一人ならできるかも知れないけれど、国として、グローバル時代に背を向けて生きることはできない。経済どうですか、日本の経済を見てみる、日本の製品を買ってもらう、同じようなものは輸入しなければ日本の経済やっていけいけない。、我々の生活成り立たない。電話だって日本一国で安全は確保できない。そういう時代にグローバル経済から目を背けて生きていけない。
世界のすさまじい変化の時代にどうやって生き抜くのか、制度も変わる、人間の考え方も変わる、そうゆう中にあってこの変化の時代にどうやっていくか、どう改革していくか、悩みながらも皆挑戦している。
しかしそういう中でも、どんな困難な時代でも、どんな国でも変わらないものがある。それは今こういう厳しい時代、みんな、「あの坂の上の雲」NHK私も見てます。あれはいいドラマですね、感動的なドラマ、NHKやってますけど、しかし明治の時代は立派だった、あの明治維新をなしとげた、日本の国を植民地にならずにここまで発展させた、礎を築いた明治の人たちは立派だったと思いますよ。しかし明治はよかったという人たちいますけどね、よーく考えてみると明治の時代に生活をしていた人は大変苦しんだんです。
以下次回以降掲載予定
このあと、江戸は無血開城だが、その後の多くの犠牲、戊辰戦争、大久保利通と西郷隆盛の盟友の戦い、西南戦争、清国との戦争、ロシヤとの戦争、明治時代に住んだ人たちは大変だったとの話が続きます。