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人生百年時代と公認会計士

公認会計士稲門会 会報 30年4月28日作成      渡辺俊之

公認会計士稲門会の会長を仰せつかって、早3年が経過しようとしています。任期満了を控えて、締めくくりをしたいと考えます。
会長一年目は、同業種交流、異業種交流の必要性、人脈に頼らない事業展開そして公認会計士稲門会活動について語り、会長二年目は、建学の精神とAI時代を迎えての監査人としてのありうべき姿勢につきを問いかけました。
そして人生も、会長の任期も幕引きの時期を迎えていますので、会計の素晴らしさ、というより複式簿記の素晴らしさの観点から、人生百年時代の公認会計士資格の魅力とその生き方について考えてみる事にします。

1、人生百年時代の公認会計士の生き方
人生百年時代を迎えて、70歳「従心」の時代は老年者年中組、80歳代からがやっと老年者年長組で、そこからエンディングを迎えるまでの人生こそ、マズローの欲求5原則の最終段階である自己実現に対する欲求を満たす時間帯に入れるのかもしれません。
70歳代は[従心所欲 不矩踰]すなわち、「心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」の時間帯で、せいぜい上記五原則の4番目「社会的欲求」を満たしているかの自問自答の時間帯です。
 さて「働く場所」「働くスキル」「働く意欲」そして「働ける健康」が与えられているなら、公認会計士は、監査法人等の定年後といえども、十分に社会に貢献できる場が与えられます。「働く意欲」さえあれば「働く場所」は自ずと見つけられます。その前提には公認会計士という「働くスキル」が公に認知されているからです。
独立して会計事務所経営やコンサルタント業務を行っている公認会計士の場合も、定年がありませんから、いつまでも働くことが可能です。

2、複式簿記的世界観の必要性
 一方、受験生の減少傾向をもって、現在の会計業界は、いま一つ魅力を欠き、優秀な人材がなかなか参画してこないという話もあります。しかしそれは短略的な見方であって、様々な不名誉な事件に会いながらも、我々の諸先輩が築いてきてくれた、我が業界に対するリスペクトはまだまだ捨てたものではない筈です。
私は「複式簿記って素晴らしい!」のテーマであちこちの場で問いかけています。一つの経済行為たる取引を常に原因と結果の複眼的思考で、複式簿記的世界観で捉えることが身についているせいか、要件事実的世界観の視点からしか経済行為を眺めようとしない方々との議論でも、貸借平均の原理、自己検証能力、説明容易性とのからみで、見つけられていなかった論点が浮かび上がってくるからです。
最先端の新たなる経済事象への対応も法律的視点のみで考えていると、頭の中の整理がつかなくなりますが、複式簿記的発想で見直すと問題点が浮かび上がってきたりします。
 このことは公認会計士の資格を前提とする会社経営者や政治家、官僚、学者であればさらにその強みが生かされてきます。

3、この業界に入りたての方達へ
 公認会計士の資格を取ったからと言って、この業界に身を置く必要はなく、公認会計士の資格は、単なる人生の通過点という位置づけでよいと考えます。 役目上、大学の会計研究科の卒業式や公認会計士講座の開講に当たって挨拶をする機会がありますが、以上のような視点で話をさせていただいております。
 そして人生百年時代という言葉が何の違和感もなく受け入れられる時代になりました。
「定年後の人生を黄金期にする方法」「定年後の人生設計スクール」。
このような類の書籍等が沢山出回っています。これって全て「定年」がキーワードとなっています。
定年という人生の最大の区切りである「節目」がある事が、人生百年時代の定年後の30年から40年の暮らし方に注目が集まるのです。
年金暮らしで何のする事もなく65歳から、3~40年暮らすことは、考えられません。自由に時間を使って持て余し気味の「時間を潰す」のではなく、「時間に追われる」生活の方がハリがあると思うこの頃です。というより私の場合はいまだに働かされている事に対する言い訳かもしれません。
 とはいえ70歳代からの人生の送り方を考えるのは、定年間際では遅すぎます。「働く意欲」を持ち続けるには、雇われの身として働かされる立場に自らを置くのではなく、所帯の大小に関係なく、自らがテーマを見出しながら働ける環境を作ることではないかと最近つくづく感じています。

しかし生涯現役という考え方は無責任かもしれません。個人としてはいいとしても、能力は年とともに減退します、周りの迷惑、後進の育成という視点から老年者年中組の生き方を模索しないといけないかもしれません。